






ニュアンスだけのテキトーな外国語を話すハナモゲラ語。
このタモリの芸がちゃんと見れるのは、年末の徹子の部屋くらいになってしまいましたネ。
今では「笑っていいともの」司会者という印象が強すぎて、
タモリが「芸だけで成り上がってきた芸人」だという事を知らないヤングも多そう。
ちなみに「徹子の部屋」では、その年最終日のゲストはタモリと決まっております。
『簡単なタモリの歴史』
ジャズ好きのタモリは素人時代、山下洋輔などプロのジャズマン達が泊まっているホテルへ押しかけていって、芸を披露。その芸が気に入られ、飲み会に参加するようになる。
そんな経緯でジャズマンたちに可愛がられるようになったタモリは、彼らの紹介で赤塚不二夫と出会う。タモリの芸に惚れ込んだ赤塚は、大分県でボウリング場の支配人をしていたタモリを東京に呼び寄せ、自宅に住まわせたり車を提供したりと、パトロンの様な事をしていました。
そして当時、赤塚不二夫は黒柳徹子とテレビで司会をしていたりと、芸能界にも顔の広く、素人タモリの芸能界入りを後押しした様です。
タモリ本人がこの話を番組で語っていました。なんかすごく1970年代っぽくて素敵なエピソードでした。
アルバム『タモリ』より4ヶ国語マージャン
用語解説
ハナモゲラは、山下洋輔一派、「ジャックの豆の木」常連客の間で流行した言葉遊びのひとつ。
ハナモゲラの他には「デタラメ外国語」「デタラメ外国語」は筒井康隆からの影響が強い。「解かない謎解き」「観念シリトリ」などがある。1970年代半ばから1980年代初頭にかけて隆盛を奮った。ハナモゲラの様式を使った言葉をハナモゲラ、あるいはハナモゲラ語という。タモリの持ち芸として有名。
1972年、タモリを発見した直後の山下洋輔 第1期山下洋輔トリオの中村誠一 (ミュージシャン) 中村誠一が出したアイディア「初めて日本語を聞いた外国人の耳に聞こえる日本語の物真似」中村誠一 (ミュージシャン) 中村誠一の代表的な芸のひとつに、あらゆる落語をごちゃ混ぜにして振りをまじえながら物凄い速度で演じるというものがある。が元祖。それをのちに「ジャックの豆の木」時代のタモリ赤塚不二夫、筒井康隆らのとんでもないリクエストに応えて即興で芸をやっていた時代。この時期、高平哲郎の肝煎りでレコード製作の話が進んでいた。が「日本語の物真似」として完成させた。
用語解説
ハナモゲラ語は、日本のジャズメン等の間で流行したインチキ外国語。タモリが広め、一世を風靡した。でたらめの中に、その言語らしさを少し混ぜるのが特色。
ハナモゲラ語をきっかけに、山下洋輔や赤塚不二夫と知り合って、タモリがデビューしたという。
なおタモリ以前にはサックス奏者の坂田明が使っており、そちらは厳密にはハナモコシ語と呼んで区別される。
所ジョージの歌『けさめらの親王むれさのはけ姫に詠む』は、タモリの作詞。
大橋巨泉が万年筆のCMでアドリブで詠んだといわれる「みじかびの きゃぷりてとれば すぎちょびれ すぎかきすらの はっぱふみふみ」もハナモゲラ語の一種と言えるだろう。