






MTVでマイケルジャクソンの追悼番組として、スリラーのメイキングが放送されいた。
観ているとマイケルがインタビューの中で、「テレビのパフォーマンスでエミー賞候補になった時、名ダンサーのフレッド・アステアが直接電話をかけてきてくれて、賛辞を贈ってくれた事が何よりの名誉だった」と語っていた。
そういえば、ピチカートファイブの『陽の当たる大通り』という曲に、アステアみたいにステップ踏んでという歌詞があって、その部分を聴くたびにそれってどんなステップなんだろう?と思っていたことを思い出した。
あ、この人がアステアだったのか!
調べてみると、マイケルは幼い頃からアステアの大ファンで、妹のジャネットとアステアごっこをして遊んでいたそうだ。
じゃあボクもアステアごっこをしてみようと、部屋の中でアステアのステップを試してみたら、無様だった上にソファーに足を打ちつけた...。
こんなステップを大通りでやったら、やばいクスリしてると思われて職質されちゃうよ!
用語解説
と共に)
フレッド・アステア(Fred Astaire, 1899年5月10日 - 1987年6月22日)は、アメリカ合衆国ネブラスカ州、オマハ生まれの俳優、ダンサー,歌手。
オーストリア系移民の家に生まれ、4歳からダンス・スクールに学んだアステアは、姉のアデールとコンビで全米のヴォードヴィル劇場を巡演し、人気を得る。17歳でブロードウェイにダンサーとして進出を果たし、20歳で名声を確立、30代初めにアデールと舞台『バンド・ワゴン』を大成功させる。
1933年にMGM映画『ダンシング・レディ』へのゲスト出演でデビュー。当時の大手映画会社の1つであるRKOと契約しジンジャー・ロジャースとコンビを結成、1939年までRKOで数々のドル箱ヒット作を生み出す。トップハットに燕尾服、ホワイトタイというアステアのエレガントなスタイルは不況下のアメリカの大衆を熱狂させた。